低空思い出-ジスイズペン。閉じ込められて英語のテープを聞かされた少年時代

父親が高校の英語の教師だったため、小学校のころから、英語のテープを聞かされていた。
部屋に閉じ込められて、ただただ、テープを聴かされた。
じっと聴くのが、とにかく、苦痛で苦痛で。
苦痛だから、さぼる方法ばかり考えていた。
どうやってさぼるか、小学校のころから真剣に考え続けた。
しかし、部屋を抜け出すわけにもいかない。
そこで、テープを聴きながら別のことを空想した。
いろんな物語を考えた。
いいことばかり考えた。
そんなことはすぐ尽きてしまうので、オープンリールの回るのをぼーっと見続けた。
『ちっともおもしろくない。でも、いつかは開放される、しんぼうしよう』というようなことをぼんやりと考えていた。
テープ学習の効用は、『苦しいことも、じっとしんぼうすればいつかは開放される』ということに気づいたことだった。

テープが終了すると、ぼくは拷問から解放された。
『低い評価をバネにして生きて行こう』

にも書いたが、ぼーっとするのが好きで、びっちり勉強するのは極端に苦手だった。

テープの内容は、何を言っているかまったくわからなかった。
こんなもの、わかるはずもない、と自分では思っていた。
大人になった今から思うと、全国には、あれでわかってしまう人がたくさんいたんだという思いがつのって、悔しい。

ある日、叔父さんが家に来た。
そのとき、母は得意そうに、「この子は英語をやっている」といった。
おじさんは、「これは机ですって言ってごらん」というようなことを言った。
ぼくは、「ジスイズデスク」と答えた。
母はうれしそうだった。
しかし、叔父さんは「ジスイズアデスクじゃない?アが足りないよ」と言った。

ぼくは、顔が赤くなるのを感じた。
その後、テープ学習はなくなったと記憶している。
なぜ父はテープ学習をやめたのだろうか。

今でも思う。
自分に、できるわけないじゃないか。って。

中学に入って英語の授業で、みんながすごくいろいろ知っているので驚いた。
小学校のころのテープ学習での先行は、すぐに追いつかれ追い越された。
追い越されるのはあっというまで、ぼくには、授業はほとんどわからなかった。
小学校のころ聴いたテープの断片がときどき思い出されて、それが余計に邪魔をした。
腰をすえて勉強する気が起こらなくなったのだ。
先行逃げ切りを図った父のもくろみは逆効果となった。

高校になると、英語コンプレックスには拍車がかかった。
とにかくわからないのだ。
辞書を引く根性もないから、ちっとも単語力がつかない。
もともと、規則とかルールとかきっちりしたものは苦手なので、文法はできない。
いつも『そんなのどっちでもいいじゃん』と心の中で思っていた。

実は、これが、ぼくの最大の欠点なのだ。
『まあ、どっちでもいいじゃん』と、すぐ思うこと。
とにかく、自分にも他人にもきびしくできないのだ。
これくらいでいいだろう。
これくらいであきらめよう。
これくらいでごまかそう。
どっちがいいか、どうでもいいじゃん。
そんなことばかりやってきた。
最近は、”できなくてあたりまえ”という考えに支配されていて、もう、どうしようかなと思っている。

英作文が一番の苦手である。
日本語を英語にできない。
子供のころのジスイズデスクのトラウマか・・・・

高校2年のときの英語のT先生は好きだった。
英訳がすばらしい日本語になっているのだ。
もっとも、先生用の解説書の丸写しかも知れず、その辺のことは不明である。
しかし、このT先生は、テストを返すとき、きまって首をかしげる。
”自分は注目されている生徒だ”と解釈して、いつも気にしないことにした。
気にすると勉強しなければならない。
そんなのはイヤだから、気にしないことにした。

とにかく、何かと理屈をこねては勉強しないことにした。
で、何をやっているかというと、ぼーっとしていた。
小学校から、ずーっとぼーっとしてきて、高校でもぼーっとし続けた。

だらしない表情でぼーっとするのがたまらないしあわせだった。
したがって、英語の成績は落ちるばかりだった。
最初から高くない成績が右下がりで落ちる。

でも、ぼくは、なんとも思わない。
努力するのが苦手だし、だいいち、どうやって努力したらいいかわからない。
あいかわらず、ぼーっとしているだけだった。
思い出しても本当にナサケない学生だった。