低空思い出-『8+7』でコケた思い出

小学校に入る前のことかもしれない。
父の友人である高校の先生が我が家に来た。
日ごろから自分の息子を神童と思い込んできた母親は、父の友人先生に「この子はもう足し算ができる」と言った。
たぶん、母は得意な顔をしていただろう。
ぼくも、自信はあった。

さて、第一問である。

父の友人先生は、「8+7は?」

・・・・・無言の時間が妙に長かった。

ぼくはコケた。
頭の歯車がかみ合わなかったと言うか・・・・
計算機に電気が流れなかったというか。
即、ボロが出た。
まさか、一問目、しょっぱなで・・・・

理由はわからないが、父の友人先生は、それ以上何も聞いてこなかった。
ただ、がっかりしていたというか、アテがはずれたというような顔をしていたのを覚えている。
オトナの好奇心を満足させてあげられなかったのが、この歳になっても悔しい。

算数は、小学校時代は得意だったが、2クラスの田舎の小学校で、M君にはいつも負けた。
ところで、話の流れをはずすが、小学校のときは**が得意だったのに、中学になると・・・という人がとても多い。
勉強が難しくなるにつれてついていけなくなる、そういうものなのだ。
小学校のときは、なんでもできたのに・・・ってのは、ちっともいい話じゃないわけだ。

中学校では、2年生ぐらいから、テストの問題を全部解くことができなかった。
時間がなくて、最後まで手をつけることができなかったのである。
なにせ、授業を聞いていないから(いつもぼーっとしていたので)、問題を見てから自力で理論を組み立てるので、時間的に非常に苦しくなるのだ。
だれかに、この話をすると、えーっ、そりゃあウソだろうという顔をしてくれる。
ありがたいことである。

高校になると、苦しさは倍増した。
授業についていくのにも難儀した。
だから、授業はボーっと聞くことにした。
ただ、隣に座っていたE君には、よく教わった。
おかげでいくらかできるようになったし、数学にも興味を持った。
その後、E君は数学の先生になった。

初めての大学受験は工学部の電気科だった。
不安は的中し、受験は失敗した。
数学も物理も英語もまったく歯が立たなかった。

ぼくは、予備校(塾の大型のもの)の選抜試験も落ちた。
S予備校の次の、二番手の予備校の選抜試験だったが、落ちた。
こうなると、何もやる気がおきず、1年間、家で寝ていることにした。

しかし、高校の進路指導部長をしていた父が、予備校の午後部に申し込んできた。
午後部は、無試験だったのだ。
やる気がなかったのに、ぼくは、予備校通いを始めた。
やる気がなかったから、5月の終わりぐらいまでは、ボーっとしていた。
しかし、6月、こんなボーっと生活にも変化がおきる。

こういうことはウサンくさいからあまり声高に言うべきではないのだろうが、
1年の浪人生活の猛勉強で、数学は飛躍的に伸びた。
この1年間だけは、特に6月以降は、ぼーっとしていなかったからだ。
1学期の終わりには、成績上位者の常連となっていた。
それも最上位である。数百人をゴボウ抜きしたわけだ。
おかげで、選抜試験を落ちた午前部に推薦された。

午前部はすごいヤツがいっぱいいて、おもしろかった。
こういう刺激が今まで足りなかったんだと、ぼくは、自分の性格の甘さゆえの失敗を他人のせいにした。
2回目の大学受験で、ぼくは、数学科に合格した。
このころになると、数学が一番好きな教科になっていた。
なにより、実験がないから楽である。

しかし、大学に入学後、よく、中学校や高校での数学のテストの夢を見た。
脂汗を流し、時間と格闘し、必死に問題に食らいつくという夢だ。
首を絞められているような、すごく苦しい夢だ。
つらい夢だった。

社会人になって、なぜか、その夢はまったく見なくなった・・・
理由はなんとなくわかっている・・・・・

それにしても、自分の受験の話になると、とうとうと語るおっさんがたまにいる。
ときには、時代背景まで違った話なのでついていくのに一苦労だ。
そんな話聞いて、誰が喜ぶのかと思うのだが・・・
まあ、それが、最後の「過去の栄光」なのだから、許してあげようとも思う。

あ、ぼくも、そういうたぐいの話をしてしまった。
つまり、ぼくも、そういうナサケナイおっさんの一人である。