低空ヴァイオリン-はじめてのヴァイオリン発表会まで残すところあと1日

明日が本番である。

今日もピアノとあわせた。
あわせることに問題はない。
緊張感は先週より低かったが、ミスはかえって多かった。
すぐに回復できたものの、左手の指が何度かもつれた。
その後、復帰できたが、いくつか音符を飛ばしてしまった。
あいかわらず、サビの部分で弓が震える現象が起こるが、なんとか踏ん張れそうだ。

家で録音を聞いてみる。
音がきれいではないという根本的で絶望的な問題が残っている。
が、部分的には、先週よりはよくできている気もする。
弓を変えてみたのがよい方向に作用しているのかもしれない。

それにしても、長く伸ばす音で、音の汚さが目立ってしまう。
キューキューいう感じは先週と同じ。
ぼくの長い音は、なにか、しぼり出すような音に聞こえる。
表現を変えると、サイレンのような音に聞こえる。
サイレンは、ぅぅうううーという感じでなるが、ああいう感じである。

もうひとつの難点は音がヨタるということ。

ひとつの音の中で、音色が変わるというか、音の質が変わる。
したがって、気分も変わって聞こえてしまう。
気ままな音楽に聞こえてしまうし、うっかりすると、ふざけているようにも聞こえる。
音楽の流れの中で気分が変わるのはよいことなのだろうが、一音の中で、あっちこっちに気分がふらつく。
だから、ぼくの音楽は、聴いていると、なにか、ヨタっているような音楽に聞こえる。
あるいは、ヨチヨチ、それとも、ナヨナヨ。と、いう感じ。

先生の音は、たとえは悪いが、ブザーのような音である。きれいな音のブザーと言う感じ。
サイレンとブザーの違いである。
以前、ハイフェッツの演奏するブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴いた。
べつに、ぼくが、ハイフェッツを目指す必要はないが、あれは驚異的な演奏だと思う。
あれを聴いて、『これ弾いているの、人間か?』と思った。
小さな音も大きな音も強靭で、音の一つ一つががっちりしていて、ゆるぎがない。
短い音も、長い音も、早いフレーズも、息の長いメロディも、どの部分を取り出しても、弱い部分がないように聞こえた。
ハイフェッツの音もブザー系である。
なめらかで音のよいブザーである。

そんな音と対極的な音、天国と地獄ほどの正反対の音、ハイフェッツがプラス無限大なら、こっちはマイナス無限大みたいな音、そんな音が、ぼくのヴァイオリンから出ているということがわかった。

いまさらだが、いろいろ思い出してみると、これって、アマチュアのヴァイオリン弾きによくある音だと思い出した。
自分でヴァイオリンを始めるまでは、あれって、どうして、ああいうふうに、ヨタるのか、いつも疑問だった。わざとやっているんじゃないかと思ったこともある。
ブルーノ・ワルターがウイーンフィルを指揮した古い演奏を聴いていると、なんだかヨタっていたからだ。
音と音のつながりでわずかに音をずり上げたりずり下げたりする。
音の上げ方や下げ方の加減やタイミングが、オーケストラ全体で完璧にはそろっていないから、ヨタる。そろわないのは、ライブのせいもあるだろう。
なんだか、不健康な音楽に聞こえたものだ。
よくわからないが、あれは、その時代の演奏様式だったのかもしれない。

今は、ヨタった演奏を耳にすることはむずかしいのかもしれない。
音楽教育が普及し、音楽大学もたくさんあるし、小さいころから楽器を習わせる親も多い。
CDが普及し、安くなった。
ホールの響きもいい。
指揮者のレベルも高そうだ。
以上いろんなことの結果として、オーケストラのレベルもあがっているのだろう。
だから、ヨタった演奏を耳にすることは少ない。

が、30年以上も前だと、プロのオーケストラでも、ヨタった演奏をしていた。
弦が活躍するゆるやかなテンポの音楽になると、それが、とても目立った。
ヨタりまくって、ころびそうな音楽になっているときもあった。

あと、何度か、高校生や、少年少女のオーケストラを聴いたことがあるが、けっこう、ヨタる。
自分の在籍した大学の学生オーケストラもヨタっていた。
当時、ぼくは、聞くだけの人だった。
モーツァルトの25番がヨタりまくっていたのが、30年以上も前のことなのに、今でも忘れられない。
ああいうのは、聴いていて、気持ち悪くなることがある。
ヨタった演奏は、身の毛がよだつと言うか、うわー、と声を上げて身震いしたくなるほどだ。

話は飛ぶが、ぼくは、こういったタダの演奏は大好きなのでよく出かける。
30年ほど前、世界の若い音楽家が集まってオーケストラを編成するというイベントがあり、無料招待券が2枚もらえて、母とコンサートに出かけたことがある。
タダだったから、すごく楽しめた。申し訳ないが、ぼくは、精神的にも貧しいらしいのだ。
演奏は部分的にヨタっていたが、若い熱気ムンムンで、母もぼくも大いに感激して帰ってきた。
後日、テレビで放映された録画を見てびっくり。
熱気はムンムンだが、弦がヨタりまくっていて、どこぞの風呂場から聞こえる浪花節か、夏祭りのカラオケ大会でがなりたてる演歌か、という感じに聞こえた。
ちなみに、チャイコフスキーの悲愴だったが、この曲自体、ひょっとして演歌的かも。

ぼくの演奏も、ああいう感じのヨタった音楽である。

明日の発表会は、とりあえず、今までの練習成果を出せればそれでいい。
しかし、発表会が終わったら、どうすればいいのか。
そもそも、このレベルを抜けるのにあと何年、何十年かかるのか・・・
死ぬまでにたどりつけるのか・・・
死ぬまでにたどりつけそうもないことを趣味にする価値があるのかどうか・・・・
気の遠くなる思いである。

今日のBGMは
ハイフェッツのブラームスヴァイオリン協奏曲
ハイフェッツのブラームスヴァイオリン協奏曲