今日も一日中昨日の発表会のことを考えていた。
それにしても、なぜか、今日は、あちこちで、「あーあ、疲れた。あー、月曜日から疲れた」と言う人に何人も出会った。
みんな、違う土日をすごしたはずなのに、ふしぎに、”つかれたー”という声が多かった。
気温の変化が激しいことが原因か、それとも、土日の局地的な大雨のせいか、湿気のせいか。
ぼくもつかれましたが・・・
話は戻るが、ぼくは、いつまでもクヨクヨするたちなのだ。
(と、いいつつ、すでに忘れかかっているので、記録のためにブログに書き込むことにした)
昨夜、まずいことがあった。
昨日、自分の演奏部分だけの録音を聞いて、『これなら、まあ、いいか』と思った。
喫茶店でビールを飲んで家に帰宅してから、夜、再度、録音を聞いた。
その結果、ほかの人は、ぼくよりももっと良い状態で録音されていることがわかったのである。
つまり、やっぱり、ぼくが一番コケていた!
録音は冷徹である。
それにしても、会場の響きは貧弱だった。
ピアノにはよさそうだが、ヴァイオリンにはつらそうだ。
実際に会場で聞いているときは、視覚的な要素もあり、それほど気にならなかったが、
録音で聞くと、どの演奏も、ヴァイオリンの音は、ピアノに負けていて、か細い。
ほんとうに、これって、ヴァイオリンの曲なのか、それともピアノの曲なのか、迷うほどである。
録音では、完全にピアノ主体の発表会に聞こえる。
数的にもヴァイオリンは少なかったし。
書籍「あがり」を克服する―ヴァイオリンを楽に弾きこなすためにによると、あがると、まず記憶に影響を及ぼすと言う。記憶が消えてしまうのだ。
ぼくの場合も、記憶が消えた。
と、いうか、記憶に自信がなくなった。
しかも、本番直前。
だから、すごくあせったが、いまさらどうしようもない。
ところが、手や指、体は、楽譜を覚えている。
じゃあ、いいじゃないか、といわれそうだが、そうでもない。
体は勝手に動こうとするのに、脳のほうは自信を失っている。
脳は、体の暴走をコントロールできないでいる。
この落差が、「あがり」に拍車をかける。
演奏しながら、”あれー、いまのでいいんだっけ?”という不安がよぎる。
演奏しながら、短い時間の中で、自問自答しているから大変だ。
記憶が完璧なら、もっと思い切って演奏できただろう。
これで、来年の曲が決まった。ロングロングアゴーだ。
ぼくは、数年前から、記憶に自信がもてなくなった。
忘れるものは、楽譜だけではない。
発表会のことを一日中考えてきて、もういちど、考えてみた。さっき。
こんな言葉があった
落ち込むことへの最善の治療法は、行動なんです
パタゴニア創業者 イヴォン・シュイナードさん
(2007年6月9日の朝日新聞、フロントランナーから引用)
ぼくが、50歳近くになってヴァイオリンにチャレンジしたのも、”行動”した結果である。
同じ年頃でヴァイオリンを始めても途中で挫折した人は、けっこういるだろう。
毎年10人くらいはいるんじゃないか?
まがりなりにも、発表会に参加できたことだけでもスゴいことではないか。
家族の評価はあたたかだった。
「いつもとおんなじだったよ」(考えようによっては、つらいものがあるが)
「ウチで弾いているほうが上手だった」
うん、そうだ。
一番、いっしょにいたい人たちに、ベストな演奏を聞かせることができているのだからそれでいいじゃないか?
今日のBGM
すっごいさわやかな音楽
ヴァイオリンのふっくらした響きが心地よく、
古楽器のピアノの夢のような音がきわめて魅力的
シューマンのヴァイオリン協奏曲
1楽章のむせるようでいて、ゆううつな感じが好きである
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