低空ヴァイオリン-お手本、模範演奏

×あいかわらず、ちっとも上達せず、それどころか、退化している状況が続いている
毎日、暑い。
涼しい避暑地に行きたいものだ。

ヴァイオリンは高原状態

志賀高原、那須高原、いや、デカン高原とか、とにかく、高原状態が続いている。

ときどき、うまく弾けてない部分を、おおげさに弾いてもらうと、なんとなく、どんな部分が悪いのかわかる。

しかし、うまく引ける状態とはどういうものかがわからない。
目標が見えてこないのである。

こまったことに、
ぼくのように、拍をきっちり取るとか、音程を正しく取るとかいう、基本レベルになると、お手本を聞かされてもさっぱりわからない。
とくに、ぼくは、”違いのわからない男”である。
あまり耳も良くない。

拍をきっちり取って弾く場合でも、おおげさに弾いてもらえるとわかりやすいのだが、この、”拍がおおげさに正しい演奏”ってのはなかなかできるものじゃないと思う。
そもそも、存在するのだろうか。

だから、お手本を聞いても、『で、なんなの?」ってことになって首をかしげるだけで終わってしまう。

これが、”音の強弱を付ける”とか”表情を付ける”とか、”もっときびきびと”とか、こういうたぐいの目標であれば、おおげさな演奏というのはありうるだろう。
すごく大げさに音の強弱を付ければ、実にわかりやすいだろう。
ああ、そういうふうに弾けばいいのかと思って、目標までの距離のうち、半分でもできれば、けっこう、音の強弱がついた演奏になるはずである。

ところが、ぼくのばあい、くどいが、”拍を正確に取る”が目標である。
だから、お手本を聞いても、『なんか、つまんない演奏だなー』と思うだけで、『何を目標にすべき』なのかさっぱりわからない。
自分の演奏との距離がどれくらい離れているのかも、まったくわからない。
とにかく、違うのはわかるのだが、距離感がつかめないのである。

顕微鏡で時間軸を見るような、そんな、ものすごく大げさに、拍を正確に取った演奏というものが存在すればよいのだが、そんなものは存在しないだろう。
正しく拍を取った演奏と、大げさに正しく拍を取った演奏は、まったくイコールであるはずだから。

同じように、音程についても、正しい音程で弾く演奏と、大げさに正しい音程で弾いた演奏とはまったくイコールであるはずで、2つの演奏の間に差はない。

だから、よくわからない。
混迷の日々は続く。

今日のBGM
現代曲だが聴きやすい。
現代曲らしさがないぶん、魅力に乏しいかも・・・・
やっぱり甘いメロディがないと・・・
ゴルトシュミット:チェロ協奏曲、クラリネット協奏曲、ヴァイオリン協奏曲
ゴルトシュミット:チェロ協奏曲、クラリネット協奏曲、ヴァイオリン協奏曲